風の息づかいが聞こえるほどの静けさに包まれた谷に、ひっそりと佇む村があった。その名を「静寂の村」という。夜になると月明かりが山の稜線を淡く照らし、昼間は雲が少しずつ流れ、太陽が穏やかに大地を温める。表面上は何もかも落ち着いて見えるこの村は、人々が互いに感情を表に出さず、理性的に暮らすことで有名だった。
ある朝、村に暮らす若い学者カイは、寝床からゆっくりと身体を起こした。彼は寝起きに短い独り言を心の中でつぶやく習慣がある。「今日は少し寒いな。けれど、もう春も近いだろう。論文の続きを仕上げなければ……」
彼の口からは声になって出ない。静寂の村では、感情を含む個人的な思考を外に漏らすことは、“品位に欠ける”とされていた。カイは幼い頃からその習慣に馴染んでいるので、独り言ですら小声か、もしくは頭の中で処理するのが当たり前になっていた。