「里中さん、退職届を提出させていただきます」
静かに差し出される白い封筒。鈴木の決意に満ちた表情に、美咲は言葉を失った。この一週間、自分なりに必死で舵を取ってきたつもりだったが…。
「えーっ!やっぱり無理だったんだ~」 オドオド坊主が大きく揺れる。
「ほら見なさい。予想通りでしょう?」 ダメダメ姫が厳しい視線を投げかける。
しかし、その時。 「待てよ」 ガッツ童子が前に出てきた。
「逃げちゃダメだ。ちゃんと向き合おうぜ」
「理由を…聞かせていただけますか」 震える声を必死に抑えながら、美咲は尋ねた。
「正直に申し上げます」 鈴木はまっすぐに美咲を見つめた。
「確かに里中さんは、溜池部長が異動してから判断のスピードは上げられました。でも、それは本当に自分の意思なのでしょうか」
「どういう…意味でしょうか」 心の中で、モヤモヤ小僧の提灯が明るく灯る。何か大切なことが、見えそうで見えない。
「里中さんの判断の基準が、いつも『きっとこれが会社の望む答えだろう』『前例ではこうなっている』というところにある。チームメンバーが新しいアイデアを出しても、結局は無難な選択に逃げてしまう」
その言葉に、キラキラ天狗が強く輝きを放った。
「ほら、ここだよ。君の中にある本当の答えを、外に求めすぎているんだ」
夕方、いつものカフェ。 ワビタンはすでにテーブルについていた。
「今日は、随分と複雑な表情をされていますね」
美咲は、これまでの出来事を話した。鈴木の退職届のこと、
その理由、そして自分の中の混乱。
「なるほど」 ワビタンは静かに頷いた。
「では、あなたに質問です。なぜ、マネージャーになろうと思ったのですか?」
「え?」 その問いに、美咲は戸惑った。そして気がついた。自分から望んだわけではなかったのだ。
「そうそう、ただ流されただけよ」 ダメダメ姫が口を挟む。
「だから、こんなことになるのは目に見えていた…」
しかし、その時。 心の奥底から、新しい声が聞こえてきた。まだ形にならない、温かな光を放つ妖怪。ワクワク座禅と名乗るその妖怪は、静かに語りかけた。
「本当にそうかな?思い出してごらん。お客様の課題に向き合っていた時の、あの純粋な喜びを」
「お客様の…課題?」
美咲は、新入社員の頃を思い出していた。夜遅くまでアイデアを練り、提案資料を作り込んでいた日々。誰に言われるわけでもなく、ただ純粋に「より良い提案をしたい」という思いで動いていた自分。
「そうそう、覚えているでしょう?」 ワクワク座禅が、温かな光を放ちながら語りかける。
「あの時の君は、誰かの指示を待つことなく、自分の『したい』という思いで動いていた」
「でも、それは単なる実務者として…」 ダメダメ姫が遮ろうとするが、ワビタンの静かな声が響く。
「実務者として、とおっしゃいますが、なぜその仕事に夢中になれたのでしょう?」
その問いに、美咲の中で何かが動いた。モヤモヤ小僧の提灯が、急に明るく輝き始める。
「私…お客様の笑顔が見たかったんです」 言葉が自然と溢れ出る。
「課題が解決した時の、あの安堵の表情。新しい可能性が開けた時の、あの希望に満ちた目。それを見ることが、純粋に嬉しかった」
「おお!」 ガッツ童子が勢いよく立ち上がる。
「それだよ、それ!」
キラキラ天狗も輝きを増している。 「そこにこそ、君の本当の原動力があるんだ」
「マネージャーになった今でも、その思いは変わっていないはずです」 ワビタンは優しく微笑む。 「ただ、役職という檻の中に、その純粋な思いを閉じ込めてしまっただけ」
その瞬間、美咲の心の中で、妖怪たちの姿が少しずつ変化し始めた。
オドオド坊主の震えが、「慎重な眼差し」に。
ダメダメ姫の否定が、「より良くしたい願い」に。
モヤモヤ小僧の混濁が、「可能性への期待」に。
そして、ワクワク座禅の光が、かつての純粋な喜びとつながっていく。
「里中さん」 ワビタンが静かに言う。 「チームメンバーも、同じように夢や可能性を持っているはずです。あなたの役割は、彼らの中にある炎を見つけ、育てること。それこそが、マネージャーとしての本当の仕事ではないでしょうか」