数日後、カイはイオと共に静寂の村を出て、騒乱の村へ向かう決心を固めた。村長にもその旨を伝えたところ、彼は黙って小さく頷くだけで、特に止めようとはしなかった。むしろ、カイには「外の世界で学んだことを村に持ち帰ってほしい」と告げた。
こうしてカイは、生まれて初めて外の世界に足を踏み出すこととなった。
道中は山道や川沿いの道を進み、二人は時折、語り合いながら進んでいく。徐々に景色が変わり始め、道端にはカラフルな旗や装飾が目に入るようになった。
「ここまでくると、もう騒乱の村の文化圏だな。ほら、あれがそうだよ」
イオが指さす先には、賑やかな音楽と人々の笑い声が聞こえてくる。まるで祭りでもやっているのかと思うほどの活気に満ちている。静寂の村では決して見ることのできない光景だ。
やがて、巨大な門を通り抜けると、一気に色とりどりの世界が目に飛び込んできた。カイは思わず息を呑む。建物の壁は鮮やかな赤や青、黄色などで彩られ、広場には楽師たちが笛や太鼓を鳴らし、踊り子たちが軽やかに舞っている。道行く人々は笑顔で談笑し、時には声を荒らげて口論する姿も。
「す、すごい……これが騒乱の村か」
カイの声は驚きと興奮で震えている。イオはそんなカイを見て、嬉しそうに笑った。
「歓迎するよ、カイ。ここでは感情を表すことに、何の遠慮もいらないからね」
村の中央にある広場には、大きな噴水があって、その周囲では露天商が果物や布地、手作りの雑貨を売っている。通りを歩く人々は笑い声、怒鳴り声、喜びの叫びなど、あらゆる感情を剥き出しにして生きていた。カイは、その強烈なエネルギーに圧倒されつつも、不思議と心が踊るのを感じる。
「……こんなにも自由に感情を表現する世界があるなんて。僕は今までどれだけ静かな世界に閉じこもっていたんだろう」
カイは心の内を声に出しながら、辺りを見回す。
だが、イオが言っていた通り、衝突もあちこちで見られた。道端で怒鳴り合う二人の男を仲裁しようと、別の女性が割って入るが、その女性も途中で感情的になり、さらにヒートアップする。笑っていたと思えば泣き始め、泣いていたかと思えば怒鳴り合い、いつの間にか抱き合って笑っている――そんな場面があちこちで繰り返されている。
「カイ、正直に言ってどう思う?」
イオが尋ねると、カイは正直に胸の内を打ち明けた。
「混沌としてるけど、不思議と生き生きとしてる。みんな、感情に正直なんだなって……。驚きもあるけれど、心が奮い立つような感覚もあって……うまく言えないけど、僕は嫌いじゃないよ」
それを聞いてイオはホッとしたように笑みを浮かべる。
「よかった。それを嫌悪感しか感じない人もいるからね。この村は、人によってはストレスに感じる場所でもあるんだよ。感情がぶつかり合うわけだから、当然と言えば当然だけど」
二人はイオの住まいへ向かった。騒乱の村には立派な役所のような施設はあまりなく、どこも住居と仕事場が一体となった空間が多い。イオの家もまた、カラフルな布が下がったにぎやかな場所で、大きな棚には様々な書物や雑貨が並んでいた。
「狭いけど、ゆっくりしていってよ」
イオはそう言って、雑多な机の上を少しだけ片付ける。どこからか音楽が流れ聞こえてくるし、隣の家からは大声で笑う声が響いている。
「静寂の村とは正反対だね……でも、なんだか落ち着かないけど面白い」
そう呟くカイに、イオは悪戯っぽくウインクをする。
「最初は戸惑うかもしれないけど、慣れたらこの自由さの魅力にハマるかもよ?」
その夜、二人はささやかな食事を楽しんだ。通りからは今も楽しげな音楽が響いている。時折誰かが家の前を通っては「イオ、帰ってきたのか?」「連れは誰だ?」などと声をかけてくる。イオはその都度、笑顔で「友人のカイだよ!」と応える。
一日の終わりに、カイは窓辺に座り、静かに耳を澄ませた。遠くのほうで誰かが喧嘩をしている怒声と、そのすぐ隣で歌が歌われ、笑い声が響き渡る――まるで、感情のオーケストラだ。
「イオ、なんか不思議な気持ちだよ。感情の衝突と、それを包み込むような喜びや笑いが同時に存在している……。まるで、“静寂”と“騒乱”が同居しているみたいだ」
イオは窓辺に腰掛けたカイの隣で、穏やかに微笑む。
「そうだろう? この村には秩序らしい秩序がないけれど、そのぶん、人々は自分の心の動きに敏感なんだ。だから、みんな互いの感情にも敏感になってしまう。それが衝突を生んでる面もあるけど、同時に助け合いや共感が生まれる瞬間も多いんだよ。」
夜が深まるにつれ、ふたりはランプの灯りを頼りに、静かに対話を続けた。カイは徐々に胸の内に湧く想いを自分でも持て余しそうになっていたが、どこかで“あえて外に出す”ことを求めている自分もいると気づく。
「イオ、僕はこの村でもっと色んな人と話してみたい。感情を表に出すことが、どんなに大変で、どんなに素晴らしいのか、直接見てみたいんだ」
その言葉に、イオは熱い握手を交わすようにカイの手をとって答える。
「もちろんだよ、カイ。俺も力になる。感情がもたらす豊かさと危険性、その両面をきちんと知ることが、きっとこれからの僕たちの道を照らすはずだから」
こうしてカイの騒乱の村での生活が始まった。彼がそこで何を見て、何を感じ、どんな結論に達するのか。その答えはまだ霧の中にある――。